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スキー場はもういらない

緑風出版スキー場はもういらない」藤原 信・編著(1994年12月31日初版発行)より

サホロリゾート拡張計画をめぐって

芳賀 耕一 

観光に未来を託した新得町

 新得駅前広場に高さ数メートルのやじろべえが揺れている。町が二千万円使って建てた「北海道の重心の町モニュメント」である。五期二十年間、町長を務め、任期後半はリゾート・観光開発に全力を注いできた佐々木忠利前町長が一九九三年七月の勇退直前に「新得町の新たな観光資源に」と予算化したものだ。ところがこのやじろべえ、誰が見てもせいぜい二百万円ぐらいにしか見えず、町民はもちろん役場内部でも大層評判が悪い。町民の冷ややかな視線を浴びながら、ちょっと恥ずかしげに、静かに揺れているモニュメントは、観光に未来を託してまい進してきた観光偏重政策の墓標のようにも思えるのである。
 十勝平野の最西端に位置する新得町は、全国で四番目に面積の広い人口八千人の町である。基幹産業は農林業だが、新得町の農林業人口減少率は十勝の平均値を大きく上回っている上、国鉄合理化・ダム工事の終了などに伴う人口減も多く、「過疎からの脱却」が町政の大きな課題となっている。佐々木前町長はセゾングループを誘致し、サホロリゾートを中心とする観光重点施策によって新得町を活性化させようとした。
 そして一九九一年四月、サホロリゾートは大規模な拡張計画を公表する。各地でリゾート・ゴルフ場計画の破綻が始まり、バブルの時代も終わりを告げようとしていた。

小さな声で幕は開いた

 サホロリゾート関連企業が現在所有する主な施設は、佐幌岳(標高一〇五九メートル)の東側斜面に七〇ヘクタールのスキー場、標高約三〇〇メートルの山麓部分に一八ホールのゴルフ場、そして五〇〇ベッドのホテルと四〇〇ベッドの会員制宿泊施設(地中海クラブ)である。
 サホロリゾート拡張計画は、これを大々的に拡張することで、二二〇〇ヘクタールの開発予定地域を一二〇ヘクタールのスキー場、五四ホールのゴルフ場、そして合計五五〇〇ベッドの宿泊施設などで埋めつくそうというものだ。一日最高入り込み者数を宿泊客五五〇〇人・日帰り客六五〇〇人の計一万二〇〇〇人と見込んでいるから、仮にこれが実現するとしたら人口八千人の町はあらゆる面で大きく変化することになる。
 道の環境アセスメントが始まり、住民にも意見書提出と公聴会公述の機会が与えられた。環境アセスメントが形式的に過ぎないのは百も承知だったが、私はリゾート一辺倒の町政に疑問を持っていたし、リゾート開発はいい加減にして欲しいと思っていたから、せめて自分の意見を表明しておきたかった。開発を止めようなどという大それた考えを持っていた訳ではなく、少しでも環境破壊の程度を減らしたいと考えていた。
 私は、スキー場・ゴルフ場・ホテルの三点セットリゾートに将来性は無いと計画の抜本的見直しを求めると共に、ゴルフ場農薬情報の公開・魚毒性の高い有機銅剤の使用中止・農薬使用量削減・町の財政負担・ゴミ処理問題など具体的な問題についても指摘・要望した。
 同じく五名の仲間が町民として初めて小さな声をあげた。
 その後、私たちは知人に呼びかけて、開発事業者と非公式の協議を開始する。丸太小屋の喫茶店に集まって開いていた非公式協議は、開発事業者の本音も聞けて、結構なごやかな雰囲気で続いていたが、具体的な解決策はまったく示されなかった。それでも正式協議に応じることだけは約束させ、一九九一年十二月、サホロリゾート開発問題協議会が正式発足する。
 私たちは多くの町民から町政に対する不満を聞いていたから、町民が本音で意見を出し合える場を作りたかった。「新得町の未来を決めるのは私たち町民です。」「私たちは自然と調和した特色あるリゾート∞町の活性化につながるリゾート≠ノ少しでも近づけたいと願っています。サホロリゾート拡張計画に期待している人・疑問のある人・よくわからない人……誰でも参加できる協議会です。」(新聞折込みチラシ)といった設立趣旨で、いわゆる反対運動≠ナはなかったため、マスコミからは慎重派≠ニ呼ばれていた。メンバーは、新規就農者や自営業、道立畜産試験場・道立林業試験場研究者など比較的自由な立場にいる者が多かったが、生っ粋の新得町民も数名参加していた。
 本人が言うのだから間違いないが、私たちはとても人がいい=B取りあえず相手を信用した上で、相手の土俵に上がってとことん話し合いを求めていく。そして信頼を裏切られてから、きちんと抗議する。「裏切られて当たり前。信用する方が悪い」と考えれば、こんな事やってられないだろうし、効率はいたって悪いのであるが、これが私たちの特徴だから仕方が無い。そして、組織の苦手な人が多かったので、あえて統一見解をまとめず、個人の意見を尊重することに努めた。
 私たちは町に対しても話し合いを申し入れるが、行政や町議会議員は圧力によって運動の拡大を抑えようとする。例えば、町独身寮の寮母が、事業者への協議申し入れ書に署名した件で商工観光課長から呼び出され、署名取下げに応じなかったら、「新得町は福祉の町なので、この仕事は母子家庭の方にお願いすることになりました」と契約を打ち切られる。また、町の臨時職員が任用を打ち切られたため、理由を訊ねると「ご主人が住民監査請求に加わったから」と福祉課長が平然と答える。二年間に町臨時職員など三名が職を失い、様々な誹謗中傷があったが、圧力事件ごとに運動が盛り上がるのも私たちの特徴である。最初は、リゾート拡張もある程度は仕方がないだろうと考えるメンバーが多かったが、町に裏切られ、道に裏切られ、事業者に裏切られ、ほとんどのメンバーの意向が拡張計画を認めない方向へと傾いていく。

クマゲラも生息する佐幌岳北斜面

 自慢できる話ではないが、私は自然の事をほとんど知らない。スキー場開発予定地である佐幌岳の調査に連れて行ってもらい、いろいろと教えてもらって喜んではいるが、木の名前など何度聞いてもさっぱり見分けられるようにならない。
 おまけに、私は少し前まで、何となく「北海道には自然があり余るほどあるんだ」と思いこんでいた。お粗末な話だが、「広い=大自然」と錯覚していたのだ。ところがちょっと冷静に見たらどうだろう。回りは畑と植林地ばかりじゃないか。
 こんな人間が自然について書くというのも申し訳ないが、少し辛抱していただきたい。
 開発予定地の中で、特に豊かな自然が残されているのが佐幌岳北側斜面である。ここは国有林であり、営林署による択伐(商品価値のある太い木を抜き伐りすること)や薪炭用の払い下げなどもあったようだが、斜面中腹には直径六〇センチメートルから一五〇センチメートル位のミズナラ・ハリギリ・シナノキ・トドマツ・エゾマツなどが多数残されており、北海道の針広混交林の原生的な状態が偲ばれる。拡張計画はここにスキーコースを開発しようというものであり、一九九三年三月には森林空間総合利用地域(ヒューマン・グリーン・プラン)の指定も受けているが、私たちはクマゲラも生息する貴重な自然が残された佐幌岳北斜面≠ニして、開発の中止を町内外にアピールしてきた。そして、これが後にクマゲラ裁判≠ヨとつながることになる。
 道環境アセスメントでは一切触れられていないが、佐幌岳北側斜面に生息しているのが国の天然記念物クマゲラである。クマゲラは現在日本でもっとも大型のキツツキで、その生息には数百ヘクタールの針広混交林が必要である。
 私たちが佐幌岳北側斜面の調査を開始しクマゲラの生息を最初に確認したのは一九九二年で、二月に多数の採餌木(昆虫を食べるために木を穿った跡)、四月に二本の営巣木(産卵・子育てをする木)とオスのクマゲラを確認している。当然、事業者・道などに対して環境アセスメント調査のやり直しを求めたが、事業者も道もクマゲラの存在をまったく無視したまま、一九九二年六月に環境アセスメント手続はすべて終了する。

糞は見せても姿を見せず、佐幌岳北斜面のナキウサギ

 道環境アセスメントの結論である審査意見書には附帯意見として「エゾナキウサギについては、事業予定地域周辺にその供給源となる生息地の可能性があるため、今後も調査を実施するとともに、その生息地に影響を与えることのないよう努めること。」と記されている。日本では北海道だけに分布するナキウサギはウサギ目ナキウサギ科ナキウサギ属に分類される体長一五センチ前後の小型哺乳類だが、氷河期から生き残った希少動物として学術的に貴重な動物であり、環境アセスメントでいう着目すべき動物≠ノあたる。
 既存のスキーコースがある佐幌岳東側斜面にも、かつてはナキウサギが生息していたが、現在は確認できず、スキー場開発により絶滅したと考えられている。スキーコース拡張が計画されている佐幌岳北側斜面には現在ナキウサギの糞が確認されているが、ササが深く詳細な調査が困難である。一度調査に同行させてもらったが、雨にずぶ濡れになりながら、生まれて初めてササ漕ぎすること数時間……。いい体験ではあったが、体力に自信の無い私にとって最初で最後のナキウサギ調査になってしまった。私たちの力不足により、ナキウサギの生息については現在も不明なままである。

前町長の創作「クマゲラの里」事件

 一九九二年十一月、前代未聞の事件が起きる。「十勝管内新得町の佐々木忠利町長が発表した「クマゲラの里」が、町内に波紋を広げている。サホロリゾート開発を題材にしたフィクションだが、開発推進派、反対派のやりとりや人物描写の一部が、この一年間に実際に起きた出来事と酷似しているからだ。」(『北海道新聞』一九九二年一一月一二日)
 例えば、私の家はこんな風に登場する。

 家の中は雑然としていた。  農家の納屋を改造した、六畳ほどの物置のような足の踏み場も無い居間に、婿殿の机がデンと一つあって、その上には不規則に積み重ねられた書類があり、その陰にパソコンかワープロかわからないものが置いてあった。
 婿殿が出ていってから、さよ子が、
「お前、こんなに汚くして、もう少しきれいにできないの。まるで豚小屋みたいでないの。あんなにきれい好きだったお前が…」
 それにしても、よく書いたと思うが、事実このとおりだから反論の余地はないし、佐々木氏も「自然保護のために本当に自分の職責を投げうって、それで頑張っているという姿を書いていたら悪いんですか」「赤貧に甘んじて、そこで一生懸命、地球を守るために、自然を守るために頑張ってきたという姿ですから、何も悪い姿じゃないでしょう」と言うのだから、まあ許すことにしよう。
 私たちが一番問題にしたのは、クマゲラ営巣木について自然保護派が嘘をついているという場面である。例えば、

 会議が終了してからも、次から次へと出てくる自然保護派からの要請に、森沢専務は、窮するでもなく、窮しないでもなく、トツトツと答えていた。
「専務さん、むずかしいことではないですよ、一つだけ約束してくださいよ。クマゲラの巣になっているあの大きな木だけは切らないという約束をして下さいよ」
 その時、専務はこの地区の童顔のレンジャーが『木を切るのは、たった三分、育つのに五十年』といった言葉を思い出していた。
「それだけですか」
「それで、明日にでも現地を見ていただきたいんですよ」
 女史は、コケテッシュな笑顔を見せながら森沢専務に迫った。
 専務は暫くじっと考えていたが、
「いいでしょう」
 森沢専務は、これが最後の話し合いとも思ったし、女史と呼ばれている島山京子の、意外に柔軟な要請に応え、現地での検討を約束していた。
 懇談会を終えてから自然保護派は何時もの丸太小屋喫茶に集まっていた。もう時刻は午前一時を過ぎていた。
「なに、現地へ行くって。行く必要があるのか。俺たちは条件闘争をしているのではないんだ。木一本くらい残したって、どうなるんだ。今回の計画には全面的に反対なんだから、何故そんな約束をしたんだ」
「それは違うぞ。このまま反対していたって、われわれの要求が認められる要素は少ないぞ。もっと柔軟に対応をする必要があるぞ」
「何をいってるんだ俺たちは、何のために今まで反対運動をしてきたと思う」
「そうだそうだ、ここで降りるくらいなら、辞めてしまった方がいいんだ」
「ともかく、これからの一切の拡張工事には絶対反対でいくべきだ」
 これらのやり取りをじっと聞いていたのが知床からきた島山女史だった。
「柔軟に対応しながら、われわれの理想は貫くべきよ。いいですか、現地で相手側が到底受け入れることのできない要請を用意すればいいのです」
「なるほど」
「あの大木はもちろん切らせないし、あの木の周辺一帯に林立している樹は一本も切らせない」
「ところが、あの写真の木は、実は今度造るスキー場の所にある木ではないんだよ」
 これを聞いて、知床の女史は目を丸くして、
「どこの木なんです」
「予定のゲレンデの向かい側の山の木なんですよ」
「すると相手側をだましたってこと?」
「まあ、そういうことになりますか」
「そんないい加減なことをして、あなたたちは恥ずかしくないんですか!」
 大きな島山女史の声に、会場は一瞬しんとしてしまった。
といった具合である。
 佐々木町長は、クマゲラが生息にどれほど多くの面積を必要とするか知らなかったのであろう。道自然保護課の資料にも「クマゲラは同じ巣穴を数年間使用し、数百ヘクタールの行動圏を必要とするので、少なくとも半径五百メートル以内では伐採しない」と書かれているが、開発計画地域のクマゲラ営巣木は造成予定のスキーコースから数百メートルの位置にある(たぶん五〇〇メートル以内と思われる。正確な位置関係を明らかにするよう事業者に求めているが回答されていない)。また採餌木はスキーコース予定地を含む広範囲に分布しているのであるから、スキー場開発はクマゲラの生息に著しい影響を与えるというのが私たちの主張であった。もちろん私たちが嘘をついた事実は無い。しかし「火の無い所に煙は立たない」と考えるのが世の常であるから、多くの町民がクマゲラの生息についての真実が分からなくなってしまい、残念で仕方が無い。
 私たちは佐々木町長に対して町民の誤解を解くよう求めたが、「内容には事実も、創作部分もある。中傷ではないし、謝罪するつもりはない」(『北海道新聞』一九九二年一一月二三日)と突っぱねたため、謝罪広告と慰謝料を求めて提訴、道内では大きな話題となる。訴訟代理人を引き受けてくれたのはリゾート・ゴルフ場問題法律家ネットワークのメンバーで北海道自然保護協会理事も務める市川守弘弁護士だ。
 提訴から一年半後の一九九四年六月、訴訟は裁判所による和解で終結するのであるが、佐々木氏本人が最後までメンツにこだわり、裁判官から和解内容を公表しないこと≠頼まれたので、残念ながらここで明らかにすることはできない。佐々木氏が町長を引退し、裁判を長期間続ける意味も薄れてきたので、これも仕方が無いだろう。それでも、この種の訴訟として実質九〇パーセント勝訴というのが市川弁護士の評価である。

リゾート誘致で地場産業は振興したか

 「佐々木さんの五期二十年の大半は地方財政が厳しい時代でしたが、日本初のバカンス村―地中海クラブやスキー場を含む一大サホロリゾートの開発、地元特産ソバ焼酎工場・農道空港の開設など斬新的な町づくりをされ、道内町村の羨望の的でありました。」(一九九三年一二月発行『続・町長メモ』序文。北海道町村会事務局長・太田操氏)
 リゾート誘致は、水道施設・道路・体育館・テニスコートなど多額な町支出を伴っているが、町の財政負担はそれだけにとどまらない。佐々木町長は、ソバ焼酎工場・農道空港など、いわゆるリゾート関連施設にも多額の公共投資を行ってきた。
 新得酒造公社は、新得町と雲海酒造などが出資する第三セクターで、そば焼酎「サホロ」を製造販売している。「サホロ城」と呼ばれる豪華な工場はサホロリゾートに隣接して建設され、観光客の増加も狙っている。
 しかし「クマゲラの里」事件から一ヵ月後の一九九二年十二月、新得酒造公社の不正経理事件が発覚する。三年間にわたって二億円の決算書改ざんが行われ、年収入一億円に対して年支出が三億円という放漫経営により負債額は八億六千万円(一九九二年三月期)に達していた。ところが町理事者・町議会は不正経理事件の真相究明を避けたまま、十二年間にわたって総額六億三千万円の財政援助を行なうことを決めたのである。この不正経理事件と町による補てんが町理事者・町議会に対する町民の批判を一気に高めることになる。佐幌岳の自然にはあまり関心を持たなかった町民も、私たちが酒造公社問題に取り組んだことには、かなり共感を寄せてくれたようだ。
 なお、新得酒造公社はその後も累積赤字が膨らむ一方で、現在再び倒産状態に陥っているが、大企業を誘致しても地域振興につながらないことを典型的に示している。
 農業政策の目玉・フライト農業にもふれておこう。農道空港は農林省の予算により設置されたが、これもリゾート開発がらみで誘致されたものである。本来の目的は新鮮な農産物を消費地に空輸するというものであるが、最初から採算が合わないことは明白であった。それでも誘致を進めたのは、将来リゾート観光客の輸送・観光飛行・スカイスポーツなどに多目的利用したいという思惑があったからである。株式会社西十勝フライト農業公社の出資者は町・農協、そしてセゾングループの北海道西洋である。
 五億円の税金を使って建設された農道空港だが、一九九三年度の売上げ二三〇万円に対してセスナ機チャーター料だけでも一二〇〇万円という惨澹たる状況である。町は「農産物輸送では将来の見通しが立たない」と、運輸省に規制緩和を求めているが、縦割り行政のおかげで今のところ認可は下りていない。
 町のリゾート関連支出は生活・福祉関連予算などを圧迫するばかりではなく、地場産業の衰退にも拍車をかける結果となっている。農林予算・商工予算が本来の目的に使われないのである。一九八五年および一九九〇年の国勢調査によれば、新得町の農林業就業人口の減少率は二〇パーセント、卸売・小売・飲食業就業人口の減少率は一一パーセントで、どちらも十勝管内二〇市町村中二位である。リゾート誘致が雇用の拡大につながったのは事実であるが、地元商店にとってリゾート業者との商取引は極端な低マージンのため売上げは増えても利益につながらない。結果として商業人口まで減少してしまったのだろう。

楽しかった町長選挙

 創作「クマゲラの里」事件と新得酒造公社の不正経理事件が続き、一九九三年三月に佐々木町長は勇退を表明する。
 後継候補選びは難航したが結局教育長に一本化され、町内のほとんどの組織や町議会議員二〇名の内一九名が後援会に名を連ねることになった。対する能登候補は新得町に入植して七年目という新参者の百姓であり、「無投票だけは避けたい」との一念で立候補したものである。
 とても選挙と言える状況ではない。私たちの戦略はただ一つ。個人的な投票依頼は行わず、ひたすら政策を訴え続けるだけだ。選挙公報・選挙はがき・街頭演説で「町民が主人公の町政を!」をメインテーマに「自由にモノの言える町」「隠し事のない町」「不公平のない町」「生活重視の町」「活気ある町」の実現を訴え続けた。
 ヨソ者集団∞独善排他的∞ごく一部の反対派∞でたらめで極めて悪質なチラシ∞過激派の残党∞感情的対立∞何でもかんでも反対=c…、いろいろと言われてきた私たちである。陰ながら応援してくれる人もいたが、町民の多くは「どうせ前町長や相手候補の悪口を言って回るのだろう」と思っていたようだ。ところが五日間の選挙期間中、町民の反応は刻々と変化していく。
 能登氏は「選挙カーは性に合わない」と車から降りて五日間走り続けた。選挙カーからは「のとゆたかは金も組織もありませんが体力だけは誰にも負けません!」。能登氏が疲れて歩き出すと「のとゆたかは死ぬまで走り続けます!」。誰かがうっかり「のとゆたかは体力と貧乏では誰にも負けません!」……
 みんな生き生きとしていて選挙事務所は笑いと活気にあふれていた。新得酒造公社の経営状態をグラフ化したプラカードを作り、町中を説明して回る。町役場の駐車場でラジオ体操する町職員たちに新得酒造公社再建計画の問題点を解説したのも、きちんと考えて欲しかったからだ。
 最終日には、あちこちの家々から人が外に出てきて応援してくれるまでになっていた。涙を流しながら握手してくれた人、遠くから深々と挨拶してくれた人、いつまでも手を振ってくれた人……。こんな感動的な場面に出会えるとは誰も予想していなかった。
 これだけ力に差がありながら、こんなに世間の注目を集めた選挙は珍しいだろう。「有権者の多くはこれを大差とは見ず、能登氏が有効得票数の二二lに当たる千百十九票も獲得したことに、驚きを隠さないでいる。能登候補の陣営は、金も支持基盤も乏しく、表面で選挙戦にかかわった人数はわずか二十人程度。まるで圧倒的に豊富な戦力をもつ政府軍に、銃で立ち向かうゲリラの構図に似ていた。にもかかわらず、四ケタ票を取った意味は深い。」(『北海道新聞』一九九三年七月二七日)、「健闘光った能登氏」「新得町はリゾート、酒造公社など第三セクターで活性化を目指すまちづくりにまい進してきた。その積極姿勢は評価されている面も多い。しかし、町民の生活、医療の点で果たして十分だったのか。能登氏はこの点を突き、堂々と政策を訴えるクリーンな戦いは共感を得た。」(『十勝毎日新聞』一九九三年七月二六日)
 得票率は二二パーセントだったが、私たちの掲げた政策は得票率をはるかに越えて町民に浸透し、新町政に大きな影響を与えることになる。
 「町長が代わって彼ら(リゾート反対派)も以前よりは静かになりましたからね」(『クォリティ』一九九四年八月号・町内商工業関係者のコメント)と言われるとおり、町長選以後、行政と住民の対決といった状況は解消された。新町長は町政が抱える問題点を明らかにし、私たちの意見も取り入れる方針に転換した。私たちも積極的に話し合いを続けている。癒着した≠ニ言われればそれまでだが、私は正論が通用する状況がやっと整ったと考えている。

本人訴訟で全面勝訴―――ゴルフ場事前協議書の開示

 株式会社サホロリゾートは推定七六億円の累積赤字(一九九二年九月期・帝国データバンク調べ)を抱え先行き不透明。バブル崩壊のおかげでサホロリゾート拡張計画は宙に浮いたままであるが、サホロリゾートは一九九三年一月、道に対して「ゴルフ場九ホール増設に係る事前協議書」を提出している。
 私は北海道公文書開示条例に基づき事前協議書の開示を求めたが、「事業者の資力・信用」を裏付ける収支決算書や「自然及び生活環境の保全並びに災害の防止等を図るため、必要な措置が講じられていること」を示す造成計画図など一〇点の文書が非開示とされた。
 私は、貸借対照表は商法により公告が義務づけられていることなどを理由として提訴したが、弁護士を頼まない本人訴訟なので、訴訟上の駆け引きなど一切出来ない。とにかく自分が正しいと思うことを真正面から主張したら、裁判所にすべてが認められて「原告全面勝訴」となった。
 判決は、道の姿勢を「開示することの公益上の必要性等については何ら検討するところがない」と批判した上で、「(開示は)自然環境の保全及び良好な生活環境の確保という公益に資するものであることは明らか」と言い切る画期的なものだ。
 「(日本の住民訴訟では)住民側の勝訴率は九・七%(九二年)にすぎない。情報公開を求める世論の高まりが背景にあったとはいえ、住民側に強い逆風が吹く行政訴訟において、弁護士抜きの本人訴訟を勝ち取った意義は計り知れない。」(『北海道新聞』一九九四年一〇月一四日)という状況だから、本人も仲間もマスコミも皆ビックリ。大江健三郎氏のノーベル文学賞授賞と重なり、全国ニュースにはならなかったが、道内各地で住民運動に携わる人々にとって、ずいぶん明るいニュースになったと思う。
 道は開かれた道政≠謔閾役人のメンツ≠重視して控訴したが、地裁の公正な判断が高裁・最高裁ではどうなるか。今後が楽しみである。

人口が少ないと過疎なのか

 私は広々とした新得町を気に入って住みついた人間であるから、新得町が過疎であるとは思っていない。今回の住民運動を担ってきたのは、新得町の自然や農林業に魅力を感じている者たちで、むしろ「人口が少ない=快適」と考える人間である。もちろん、地場産業が大切にされなかったり、弱い立場の人々の生活が犠牲にされたりが原因で人口が減少するのは困るが、「人口が少ない=過疎」と考える人間が都市へと流れるのは仕方のないことだ。「人口が少ない=過疎」と考える価値観は人口を減らし、逆に「人口が少ない=快適」という価値観が人口を増やすのだから、あまり人口にはこだわらない方がいいと思う。
 大企業を誘致して雇用の場が増えたところで、地場産業が衰退し、自然が破壊され、言いたいことも自由に言えない町になってしまったら、住民の幸せとは程遠い。何よりも、今住んでいる人々の暮らしを大切にすること、魅力ある自然環境を守り育てること、そして誰もが自由に発言できる雰囲気を作ることだ。魅力ある土地には人々が集まってきて、本当の活気ある町になる。
 今後バブルの時代が再来することでもあれば、サホロリゾート拡張計画も再燃することだろう。その時までにどれだけ新得町の魅力を引き出せるか、町民の支持をどれだけ得られるようになるか。今後も地道に活動を続けていくつもりである。